オーケストレーションの天才と謳われる作曲家の名前を自分のメールアドレスに指定するほど入れ込んでいる友人のバイオリン奏者に「ワーグナー」の話をすると必ず一瞬だけ顔をしかめる。まあ確かにナチスがらみを考えるとそうなのかもしれないけれど、そこまでかな?と問うてみると、どうやら音よりも先にノイシュヴァンシュタイン城の空気が蘇って息が詰まるのだそうだ。
建築は専門分野のはずだが、正直、近代以前ヨーロッパのロマンチシズム方面は大の苦手で殆ど知らない。それでも流石にノイシュヴァンシュタイン城はちょっと無理だよね、という空気は理解できる。
ディズニーランドのシンデレラ城を一度思い浮かべた上で、Googleの画像検索を試してみて欲しい。
写真の通り此れは本気だ。ヤバイくらい本気なのだ。息が出来ないくらいの本気さだ。
恐らく訪れることはないだろうなという印象のままで、それ以上のことは何も知らなかった。折角なのでwikipedia先生で調べてみた。
ノイシュヴァンシュタイン城
ルートヴィヒ2世
成る程、これはルートヴィヒ2世のまさしく「夢の城」なのだ。
他人の夢の中ほど息苦しいものもあるまい。
加えて、ヒトラーがWagnerianであった事、そして下記
wikipediaより引用
ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に匿名で『音楽におけるユダヤ性』と題した反ユダヤ主義の論文を発表。音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾した。後にナチスにこれが利用されることともなった。現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い。欧米でもワーグナーの「音楽」を賞賛することは許されてもワーグナーの「人物」を賞賛することはユダヤ人差別として非難の対象となる。
引用ここまで
まあ、音楽に関しては嗜好と立場がごっちゃになる事が多いのは傾向としてある。それを差し引いたとしても印象は悪いよね。(なんか出来の悪い学生のレポートみたいだな。コピペだらけだ)
ではあるんだけれども、好きな作曲家を問われたら上位に食い込んでくるんだよ(作品として)という話を友人としていてタンホイザーが全曲聞いても飽きないですよね気持ちいいですよと云ったところ、カラヤンのマイスタージンガーを聴いてから出直して来なさいと云われ、「嗚呼もう第○楽章のあのトロンボーンの入り方と云ったら…」と「のだめ」の世界に出てくるクラシック大好きな方々の陶酔状態に突入する友人を見つつシロノワールをつまみつつしていて思ったのが、当たり前なんだけど、受容体の性能って大事だよねということ。
例えば主題が繰り返され、合唱になり独唱が入り、高まった瞬間にまた主題に戻り、といった気持ちよさはとてもよくわかる、というか自分のせいぜいがここまでなのだ。
友人にしてみれば自分で演奏し、音のニュアンスまでコントロールする世界に生きていたのだからして、音の一つ一つの意味を味わえるのだろう。(同時に「これってダメだよね!」と腑分けの世界に入る事もあるみたいだけど)
この愛すべき友人はよく泣く。まあ女性だし私よりも先輩だしという点を差し引いても泣きすぎだよねというほど泣くようだ。感動しては泣き、すごいものに触れてよくわからないままに号泣しているというのも理解できる。受容体の性能差と、これを外界に伝える手段としては楽器以外のところでは涙になってしまうのだろう。
さて、カラヤン版のマイスタージンガーを探さねば。
2009年11月8日日曜日
BOX
知人の御子息がアマチュアボクシングの大会に出場すると聞いて、お願いしてしゃしんを撮らせていただいた。
普段から動かないものばかり撮っているのに、人物写真でしかも動きの早いボクシングとなると果たしてどう撮っていいやら。使えそうなレンズをバックパックに詰めて会場へ。
思ったよりもリングサイドが近い。がロープを入れずに撮るとなると本当のかぶりつきまで寄ることになって、流石にそこまでは無理。迷惑にならない程度に近づきながらロープの間を縫って狙うことになる。135/2.8という手持ちで一番長いレンズが役に立った。他の選手の試合で試し撮りを繰り返す。ライティングされているリングだが、撮ってみると思ったより暗い。手振れせず被写体も流れない絞りとシャッタースピード、ISO感度を探る。
リングサイドはすごい迫力だ。情けないことにすごいとしか口を突いて出ない。ボクシングというのはものすごくシンプルなだけに選手の気持ちがファインダー越しにわかる。気がするだけかもしれないけど。攻防の空気が切り替わる瞬間というのが見える気がするのだ。
シャッターを切りながら、自分が人を殴ったのは何時が最後かな等と暢気な事を考える。何れにしろ大昔であることには変わりがなく、しかも無意識に全身が萎縮した所謂手打ちだ。殴るからにはそれなりに頭に来ていた。それでも拳で人を殴るというのは自分を突き抜けて相手に向かっていくような強さが必要なのだなと感じた。大昔の事だけれども。
ここにいる選手たちは、若くして統制の取れた突き抜け方を知っているという事なのだろう。正直羨ましく感じた。とはいえ階級が上がるとともに増していく拳の音のその重さに「そんな楽なもんじゃないぜ」と云われているような気がした。
アップしたしゃしんは試行錯誤の過程で撮れた一枚。全体の流れと選手のリストを遡ってみるとバンタム級の選手のものだと思う。300枚ほど撮って我ながらまとまっているなと思えるのはほんの僅か。しかもベストショットは知人の御子息の試合ではないところが「とほほ」というか、だから気兼ねなくアップもできるというか。まあnetなので個人が判別できないほどに流れているカットを選定。
本日は圧倒的に経験不足でした。重ねて貴重な経験をありがとうございました。
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