2009年11月23日月曜日

ワーグナー

 オーケストレーションの天才と謳われる作曲家の名前を自分のメールアドレスに指定するほど入れ込んでいる友人のバイオリン奏者に「ワーグナー」の話をすると必ず一瞬だけ顔をしかめる。まあ確かにナチスがらみを考えるとそうなのかもしれないけれど、そこまでかな?と問うてみると、どうやら音よりも先にノイシュヴァンシュタイン城の空気が蘇って息が詰まるのだそうだ。

建築は専門分野のはずだが、正直、近代以前ヨーロッパのロマンチシズム方面は大の苦手で殆ど知らない。それでも流石にノイシュヴァンシュタイン城はちょっと無理だよね、という空気は理解できる。

ディズニーランドのシンデレラ城を一度思い浮かべた上で、Googleの画像検索を試してみて欲しい。


写真の通り此れは本気だ。ヤバイくらい本気なのだ。息が出来ないくらいの本気さだ。
恐らく訪れることはないだろうなという印象のままで、それ以上のことは何も知らなかった。折角なのでwikipedia先生で調べてみた。

ノイシュヴァンシュタイン城
ルートヴィヒ2世


成る程、これはルートヴィヒ2世のまさしく「夢の城」なのだ。
他人の夢の中ほど息苦しいものもあるまい。

加えて、ヒトラーがWagnerianであった事、そして下記

wikipediaより引用

ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に匿名で『音楽におけるユダヤ性』と題した反ユダヤ主義の論文を発表。音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾した。後にナチスにこれが利用されることともなった。現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い。欧米でもワーグナーの「音楽」を賞賛することは許されてもワーグナーの「人物」を賞賛することはユダヤ人差別として非難の対象となる。

引用ここまで

まあ、音楽に関しては嗜好と立場がごっちゃになる事が多いのは傾向としてある。それを差し引いたとしても印象は悪いよね。(なんか出来の悪い学生のレポートみたいだな。コピペだらけだ)

ではあるんだけれども、好きな作曲家を問われたら上位に食い込んでくるんだよ(作品として)という話を友人としていてタンホイザーが全曲聞いても飽きないですよね気持ちいいですよと云ったところ、カラヤンのマイスタージンガーを聴いてから出直して来なさいと云われ、「嗚呼もう第○楽章のあのトロンボーンの入り方と云ったら…」と「のだめ」の世界に出てくるクラシック大好きな方々の陶酔状態に突入する友人を見つつシロノワールをつまみつつしていて思ったのが、当たり前なんだけど、受容体の性能って大事だよねということ。

例えば主題が繰り返され、合唱になり独唱が入り、高まった瞬間にまた主題に戻り、といった気持ちよさはとてもよくわかる、というか自分のせいぜいがここまでなのだ。

友人にしてみれば自分で演奏し、音のニュアンスまでコントロールする世界に生きていたのだからして、音の一つ一つの意味を味わえるのだろう。(同時に「これってダメだよね!」と腑分けの世界に入る事もあるみたいだけど)

この愛すべき友人はよく泣く。まあ女性だし私よりも先輩だしという点を差し引いても泣きすぎだよねというほど泣くようだ。感動しては泣き、すごいものに触れてよくわからないままに号泣しているというのも理解できる。受容体の性能差と、これを外界に伝える手段としては楽器以外のところでは涙になってしまうのだろう。

さて、カラヤン版のマイスタージンガーを探さねば。

2009年11月8日日曜日

BOX



知人の御子息がアマチュアボクシングの大会に出場すると聞いて、お願いしてしゃしんを撮らせていただいた。
普段から動かないものばかり撮っているのに、人物写真でしかも動きの早いボクシングとなると果たしてどう撮っていいやら。使えそうなレンズをバックパックに詰めて会場へ。
思ったよりもリングサイドが近い。がロープを入れずに撮るとなると本当のかぶりつきまで寄ることになって、流石にそこまでは無理。迷惑にならない程度に近づきながらロープの間を縫って狙うことになる。135/2.8という手持ちで一番長いレンズが役に立った。他の選手の試合で試し撮りを繰り返す。ライティングされているリングだが、撮ってみると思ったより暗い。手振れせず被写体も流れない絞りとシャッタースピード、ISO感度を探る。

リングサイドはすごい迫力だ。情けないことにすごいとしか口を突いて出ない。ボクシングというのはものすごくシンプルなだけに選手の気持ちがファインダー越しにわかる。気がするだけかもしれないけど。攻防の空気が切り替わる瞬間というのが見える気がするのだ。

シャッターを切りながら、自分が人を殴ったのは何時が最後かな等と暢気な事を考える。何れにしろ大昔であることには変わりがなく、しかも無意識に全身が萎縮した所謂手打ちだ。殴るからにはそれなりに頭に来ていた。それでも拳で人を殴るというのは自分を突き抜けて相手に向かっていくような強さが必要なのだなと感じた。大昔の事だけれども。

ここにいる選手たちは、若くして統制の取れた突き抜け方を知っているという事なのだろう。正直羨ましく感じた。とはいえ階級が上がるとともに増していく拳の音のその重さに「そんな楽なもんじゃないぜ」と云われているような気がした。

アップしたしゃしんは試行錯誤の過程で撮れた一枚。全体の流れと選手のリストを遡ってみるとバンタム級の選手のものだと思う。300枚ほど撮って我ながらまとまっているなと思えるのはほんの僅か。しかもベストショットは知人の御子息の試合ではないところが「とほほ」というか、だから気兼ねなくアップもできるというか。まあnetなので個人が判別できないほどに流れているカットを選定。

本日は圧倒的に経験不足でした。重ねて貴重な経験をありがとうございました。

2009年10月18日日曜日

オートバイと筆記具

GKというデザイン集団がある。
特にYAMAHAのオートバイのデザインで実績を残してきた。
私との接点としては、GK設計という形で建築のデザインに携わった事例を見てきた。
日本人らしい素晴らしい集団だと思う。

そう、日本らしさを感じるのだ。
たとえば毛筆であっても面相筆のような緻密さ。
マニアックな表現としては、Hの芯で0.4mmの堀の深さで切りつける感じ。

あえて共感を得るにはあまりにも狭いオートバイのデザインでいうと、GK=YAMAHAの繊細さに比してHONDAの太さがある。これは計算された力強さであって、繊細なものをあえて2Bの先の丸まったホルダーで描いた感じがする。

SUZUKIはクレヨンで描いたような曖昧さを敢えて残す意図を感じるし、KAWASAKIは確信犯的にいきなりロットリングでインキングしている感じ。

書いていて我ながらこれって独りよがりが過ぎるよなと思いつつも、とりあえずポスト。

Kindle

webの世界は門外漢な私ですけれども、AmazonのトップページがKindleでそれがページまるっと画像データでAmazon.usに飛ばしますかそれって手抜きって言わないですかそうですかすみません。ということでKindleについて。
(折角なので記念コピペ)



60 秒で書籍のデータが手元のデバイスに届く(しかもiPhoneやiPodにも)のって素晴らしい世界だなと思う。例えばいま住んでいる地域の中央図書館は、幸いなことに欲しいと思った資料はたいてい所蔵している。(小林秀雄の本居さんのCDを借りている人は早く返してください)

ところが、ここから1時間ほどの湊町では「巡回図書館」なる車を介さないと世間一般でいうところの図書館にアクセスできないというのが現状だ。

こんな時にnetに繋がりさえすればトキオだろうとアラスカだろうと同じサービスが受けられるのはすごい魅力である。先端技術は田舎のほうがポテンシャルは高いのね。

ここで、気になるのが「米大学が講義にKindleを導入してみるも、不満集中」(Link)という記事。この不満も痛いほどわかる。

私の場合、書籍にラインを引くのはステッドラーの朱色の色鉛筆と決めている。紙の光沢具合によっては一段柔らかい三菱の赤鉛筆が登場する。これは長い間の習慣であって、これでなくては「気持ちが悪い」といった類の事柄だ。ちなみに気持ちいい朱色と黄色いラインマーカーがあれば他のものはたいてい許容できる。

髭を剃るにも哲学があるように、線を引くにも流儀というものがある。大仰に言えば個人が文献と対峙するときの勝負というか作法だ。

Kindleの作法がどんなものかは触ったころがないので判らないのだけれども、長い時間をかけて作った「自分ルール」を内包して余りあるほどの懐の深さではないみたいだ。

線を引いたり書き込みをしないまでも、1冊の本の中での空間と内容のリンクというのは無数に存在して、嗚呼あれが書いてあったのはたしかこの辺のページの右上あたりで、というような奥行きのあるビジュアライゼーションの連鎖が本を読む行為の中で結構大事なのではないかと思う。

ページの概念がなくなると(スライダーの位置とか付箋機能はあったにしても)読み返す醍醐味は減りそうだ。いやいや、そんなものは自己満足で、全文検索すればいいのかもしれないけれど。

以前、w-zero3[es]を使っていた頃、青空文庫の萩原朔太郎を一通りダウンロードして読んでみたことがあった。けれど、読み通せたのは紙で読んだことがある項ばかりだ。新しい項に挑戦してどこまで読んだか記憶させても、次に続きを読もうとする時のパラパラめくる感覚がないと、どうにもスイッチが切り替わらない。結果、拾い読みしかできなかった。

恐らく、振り返ることなく読み捨てる系の情報ならいいのだろう。新聞とか雑誌とか。
これらで保存したいと思う情報は何らかの手段でスクラップすればいいのだし、それ以外で振り返る必要があれば検索に頼ればいいのだ。


と、ここまで書いて、これも世代なのかもと思い始めた。携帯で小説を読んでいる世代は、Kindleを過不足なく使いこなすのではないか。
ヤバイ。取り残される側に立っている鴨なう。

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と、投稿しようとしてwebにつなぐと「2010年にGoogleがE-Book販売に参入!?」の記事(Link

えーーーと、青空文庫用のリーダーをDLして再挑戦するぞするぞするぞ!!!

2009年10月12日月曜日

体育の日

昨日に引き続き駒沢公園である。
インラインスケートを戸棚から出してベアリングにシリコングリスを吹く。
ホッケーのスティックをどうしようかと一瞬迷うが足がVespaだ、積めないので諦める。
とはいえ数年ぶりのインラインスケートだ。きっちり足を締め付けて立つと流石に怖い。と思ったのは最初だけですぐに身体が自然と思い出す。このへんは自転車と同じだ。

全身を使うスポーツにはそれぞれ独特の気持ちよさがある。いまはまっている水泳では水の抵抗の中でツルッと進む感覚。インラインスケートでは思い切りバンクしてエッジを立ててターンする感覚だ。

私の軸足は右である。故に右ターンは程なくして手をついて曲がれるほどに攻める事が出来る。一方情けないのが左足だ。スキーやスケートで共通の感覚だと思うのだけど、内エッジは誰でも使える。外エッジを如何にコントロールできるかがテーマになってくる。半ば意地になってエッジの使い分けの練習を繰り返す。一本足で左右に曲がりながら反動をつけて進む。かかとが浮くので絞めなおして一本足のスラローム。左右のターンで両足が同じラインを追えるようになる頃には締め付けすぎた足が限界になっていた。本日はここまで。

昨日のベンチに辿り着くには坂を下って信号を渡らないといけない。流石にスニーカーに履き替えた。そういえばインラインスケートを始めた頃、ハートビル法というバリアフリーに関する規定が努力義務として課されるようになって燦々文句を言った末にインラインスケートで入れない場所に出会ってすみませんすみませんと思ったのだった。

ベンチで胡坐をかきながら昨日の本の続きを読んでいると、そういえば円覚寺で座禅会に参加したっけと目を伏して座禅に突入。
隣のベンチに関西から初めて駒沢公園にやって来て「めっちゃいい公園やんかー」と関西弁で賞賛する女子と、この公園をホームコースにしているアスリート男子の会話が 耳に入ってくるというか瞑想とか無理です無理ですってばと読書に戻る。
座禅初心者にはTPOが大事なのだ。


帰宅して事務仕事を少しこなしてプールへ。
期せずしてこれ以上ないくらいに体育な体育の日ではないですかと鍋物をつついて夜もふける。しゃしんは携帯で、へろへろになって植え込みにへたり込むの図


2009年10月11日日曜日

駒沢オリンピック公園

久々に飛び切り美味い珈琲が落ちたのでポットと本とカメラをチャチャパックに詰めて公園へ。自分で挽く珈琲って何でこんなに味が変わるのだろう。いや逆に一定の味が出せる腕というのもすごいものだなと思う。

一日過ぎてしまったが、この公園で東京オリンピックが開催されたのだなと思い出す。体育館の屋根の懸垂曲線が誇らしげに見える。確かHPシェルだったはずだ。芦原さんは設計しながら、そして完成したときに胸が震えたんだろうな。

休日なので公園は混んでいる。気分のよさそうなベンチを求めて公園を半周ほど進むと、2m角ほどの正方形のベンチが新しく設置されていた。自転車ですぐ脇まで乗り入れできるのもポイントが高い。折角大きなベンチなので靴を脱いで裸足で胡坐をかきながら読書開始。

ヒトが獲得した最高の賜物は多様性だ。多様な状態を認めながら社会との関わり方を考えるのが大人なんだろう。などと考え事をしている廻りには映画でいうと人類の脅威が迫っている事も知らずに平和を謳歌している場面のような公園の風景。ベタだけどBGMをつけるとすればやっぱりサッチモだ。とはいえiPodからはワーグナー。

隣の同じサイズのベンチに高齢の夫婦がやってきてストレッチを始める。私の親の世代かもう少し若い。ランニングコースがすぐ隣にあるので走る前のストレッチかと思ったら結局最後までストレッチを続けていた。帰り際に気が付いたのだがご主人の方の動作に麻痺の痕跡がある。嗚呼、父を何とか説得して歩かせるようにしなくては。

日が傾き気温も下がってきた。次回はもう少し調整が効く服装で来よう。しゃしんを撮りながら帰路へつく。

バックパックの上に載っているのは鍋つかみで、魔法瓶の保温に形状も断熱性も最高なのだけど、外で使うのはちょっと気恥ずかしい。


2009年9月22日火曜日

supablogger

書き付ける行為、というのがどうやら自分には必要なようだ。まあ、しゃしんにしたところでアウトプットのひとつなんだろうけど、それとは別の常に頭をかすめていく細かなワード、そしてその組み合わせの中で、使い物になるかどうかは別として言葉として記録しておきたいという欲求が確かにある。

最初、tunblrでもいいか、という気にもなっていたのだがちょっと違う。[はてな]は村の独特な文化を楽しめる人じゃないとつらいのかな。
feecleは使いやすかった反面、閉鎖に伴う情報の取り扱いにインフラとしての自覚が以下略。
ということでいろんなblogサービスをお試し中。
しゃしんはヒルサイドテラス。


2009年6月14日日曜日

旅するVespa

青年は荒野を目指すは五木寛之だっけ読んでないけど。
少年は荒野を目指すは吉野朔実ですよね何度読んだかわからん。
んで、
すぱちゃんだって荒野を目指しちゃうのれす(`・ω・´)のVespaツーリングのはじまりはじまり。

注)暇を見てぽつぽつ書いてたらすげー長くなっちゃった。

090607
ツーリングの朝は早い。。。はずだったのだが、前日というか当日というか寝たのが朝0500で、いっその事このまま行こうかとも思ったんだけど安全第一コレ大事トテモ大事ということで仮眠。起きたら0900。Vespaくんにリアキャリア付けたりパッキングしたりバタバタしているうちに1200.いかんいかんいそげいそげー。
1回で荷物を降ろせずにシュラフとテントを括りつけて残りの荷物を取りに戻ると、駐輪場で不思議そうな顔をしてVespaを見つめる集合住宅在住の中学生。そりゃそうだキミの気持ちは解るおすごく解るおすまぬすまぬでシュッタツ。

Vespaの前後キャリアにキャンプ道具を積むとアキラカニ過積載だ。スピードに乗ると気にならないけど低速のカーブで車体の重さが取り回しに出てくる。フロントに三脚積んだのが敗因だったかなダガシカシすすめすすめーー。

トリアエズ246を南下する。この時点では目的地は決まっていない。見慣れた246もキャンプツーリングでは趣が違。。。わない。うがーーー混んでる。ナニシロ過積載なので安全運転で進む。
前回、宮ヶ瀬湖ツーリングで休憩したコンビニで最初の休憩を取る。東京方面から走ってくると丁度休みたくなる距離なんだなきっと。ミネラルウォーターを買ってシュッタツ。当然コンビニの袋はシートのフックですよねですよね。

厚木で宮ヶ瀬湖への分岐になる県道412号線との交差点に差し掛かる。ここまでの進捗で目的地を決めようと思っていた。幾つかピックアップしておいたキャンプ場から、順調なら御殿場、難しければ道志道のキャンプ場だ。混んでいたわりに案外いいペースで来れたので、目的地を御殿場に定めてキャンプ場に電話を入れておく。
ここから御殿場にいくルートも2通りある。
ひとつは山岳コースで道志道を抜けて山中湖から御殿場に降りるコース。
もうひとつはこのまま246を進むコース。
同じルートではつまらないので、往路と復路を走り分ける作戦だ。
今日は寝坊したし初めてのキャンプツーリングで暗い中テントを建てるのも辛そうだったので、時間優先で246を進み帰りに道志道を通る作戦とした。

しばらく進むと246が129号に別れ、このあたりから一気に生活道路の趣になる。ヒライケンの246を300km/hで~~~~もココではつらそうだ。アイカワラズ超安全運転で進む。
大井松田ののあたりから登り勾配が急になり山岳コースになってくる。どうもエンジンの吹けが悪い。ヘルメットの中で唾を飲み込むと耳が抜ける。そうか、標高が上がって気圧が下がったんだ。ガスが濃くなってるのね。
そういえばムカシMG-Bで富士山の5合目を走った時に、エンジンは回るけどパワーがスカスカになったの思い出した。まぁそれほどではないにしろ、エンジンが小さい分影響も大きいんだろう。旧いキャブレターの宿命なのかな。

登り勾配が続き、カーブが多くなってくる。サスガに気温も下がってきてウインドブレーカーを着込む。トンネルを抜けたカーブでいきなり前輪が流れてカナリ焦る。コーナーの円周方向に細かく刻まれた溝が原因だ。噂には聴いていたけど走るのは初めてだ。成る程、ライダーに評判が悪いのがよくわかる。バンクするとラインがぶれるので車体を立ててゆっくり進むしかない。これって知らずに飛び込んだら事故になるんじゃないかなぁ。

道の駅「ふじおやま」で休憩。金太郎さん生誕の地であるらしくマサカリ担いだ像がある。バイク用の駐車スペースに近づいていくと。。。リッタークラスのバイクが勢ぞろいしておる。。。250がめっちゃ小さく見える。。。すんまそん75ccでシカモキャンプ道具満載してて。。。ナニゴトもなかったように少しはなれた場所に停めて、成る程コレが噂の(pq´ω`) ミジモジ常態か。。。はい休憩です。

SAとか道の駅って何故かソフトクリーム食べたくなるよねということで、チョコバニラソフトを購入。ちなみにアメリカンドックとすごく迷った。ふらふら食べながらしゃしん撮ったりしながらバイクに戻ると、おっちゃんが話しかけてくる。

お「これ、Vespa?」
す「そうですよ」
お「なんしーしー」←コレ重要トテモ重要
す「フレームは50だけど75にボアアップしてますです」
お「ギアーは自動で変わるの」
す「左グリップ回して変速するんですよ」
お「でも遠心クラッチで変速するんぢゃないの」
す「左グリップ回す時にクラッチ切るんですよ」
お「風情があっていいねぇ」
す「でも今のバイクに比べたら全然走らないですけどね」・・・・(ry

サスガ道の駅である。バイク海苔の間で伝説の珍獣「なんしー」にそうぐうしてしまったぁぁぁぁぁあああでシュッタツ。
以下「なんしー」詳細
http://homepage3.nifty.com/gakira/nancy.htm

246から138号、469号と進む。御殿場に入ると自衛隊の車両が多くなる。目的地はもうすぐだ。ツーリングマップにスーパーマーケットの表示がある。ここで食料を確保しよう。農協系列のスーパーらしく野菜や味噌醤油のラインナップが充実しているものの他のものが見事に少ない。おお、挽き肉の小さなパックが50円引きだ。こんなトコまできていつもの生活が出る。スーパーの袋はシートのフックにかけるものなのですっ(`・ω・´)

幕営地は「やまぼうしオートキャンプ場」だ。 


http://g-news.jp/yamaboushi/
激しく解り辛い看板に迷いながらも何とか到着。芝が整備されたきれいなサイトだ。
管理事務所のおばちゃんに「バイクいくら?」と聞くと「1,000円」との事。清潔な炊事場に水洗トイレ、シャワーにユニットの風呂まである。それで乗り入れ可能で1,000円は破格だ。

先客は車が3台、バイクが1台。サイトをぐるりと1周してテントを張る場所を決める。通過する時に驚かせてごめんバイクのヒトよ。
しばらくしてサイトの真ん中に停めていた日帰りの車が帰ると敷地内のパワーバランスが変わってくる。隅のほうに幕営していたバイクの人が移動している。ワタクシも設営途中のテントを白い花の咲く木の下へ移動する。テントの下に敷いたドカシーごと滑らせればらくちん。なんか、キャンプ場の場所取りって囲碁みたいだ。

今回実戦配備された新兵器であるところのシングルバーナー「UNIFLAME US-TRAIL」でお湯を沸かし珈琲を淹れる。オートキャンプの人は立派なタープの下にテーブルと椅子。バイクの人も小さな椅子でくつろいでいる。ワタクシは積載量の関係で折りたたみ椅子を諦めたので焚火用のコンクリートブロックが椅子代わり。今度は持ってこよう。自衛隊の演習地が近く、ヘリコプターのローター音が響く。


夕食の作成に取り掛かる。ニンニクと挽き肉を炒めて香りがたったところでシメジと大豆の水煮、ホールトマト、チリパウダーを投入する。やはり西部劇といえばチリビーンズだ。御殿場だけど荒野といえばウエスタンなのである。いや、オートキャンプ場だけど。

日が落ちて珈琲を飲みながらぼけーとしていいて重大なことに気がづいた。近くにある温泉に行くのを忘れていたのだ。辺りはすでに暗く、道には当然だが街頭もない。距離が短いが穴だらけのダート路がある。Vespaくんの暗いヘッドライトだと怖いよねきっと。とゆーことでキャンプ場備え付けの風呂に入ることにした。風呂に行く時、首にタオルかけるのって遺伝子に組み込まれた動作なんだよねきっと。

寝袋にもぐってLEDのヘッドランプ(文字通りアタマに着けるランプね)の光を頼りに読書。持ってきたのは[アラン ムーアヘッド著 恐るべき空白]である。オーストラリアの内陸部がまだ未開の地であった頃の冒険記だ。この本と[エンデュアランス号漂流]はキャンプで読書の双璧である。いや、オートキャンプ場なんだけど。

さて明日に備えて睡眠すいみーーんなのだが。。。寝付けない。寝袋の下に敷いた銀マットが案外硬く寝返りも一苦労といった感じ。なるほど、キャンプ用のエアマットが流行る理由がわかった。とはいえ以前は石がごろごろする川原で寝たものだが。。。まどろんでいるうちにテントが明るくなる。0500。夜明けだ。

090608
テントから顔を出すと、霧が濃い、というか霧雨だ。お湯を沸かして珈琲を淹れ、昨日のチリビーンズの残りと葡萄胡桃ロールパンで朝食。鳥の声と蜜を集めに来た蜂の羽音が響く。コッヘルを洗ってテントを撤収する。他のキャンパーがまだ寝ているので過積載のVespaくんを押して敷地の外へ。エンジンをかけて少しはなれたところで暖機する。シュッタツ。
霧雨がだんだん重くなってくる。路面にうっすら水溜りが出来はじめる。138号まで戻りさてどうするか。予定では山中湖を越えて道志道で帰る予定だがVespaのタイヤの雨天性能はものすごく低い。過積載で重心が上がっているせいもありウエットだと怖い。ここまで来て残念だが仕方ない。今回は246で帰ることとした。


道の駅「北の山」で休憩。流石に寒い。甘い缶コーヒーでエネルギー補給。歩道に毛布を敷いてそのまま寝ているツワモノキャンパーがいた。

東名と246がつづらおりして進む区間はセンターラインが黄色だ。雨でペースが上がらない為後ろを気にしながら進む。大型のトラックが後ろにつくと焦る。

早朝とはいえ月曜の上りは結構な交通量だ。特に上下2車線の部分はすぐに渋滞になる。秦野付近でガソリンがリザーブに入る。セルフスタンドで給油。リアキャリアが歪んでいて強度に不安があるので、重い荷物はタンデムシートの部分に積んである。給油の度に荷物を降ろさなければならない。これは要検討だな。霧雨も上がったので雨具を脱いで仕舞い込む。

多摩川を越えるとすっかり帰ってきた気分になる。が、クラッチの動きがおかしい。信号待ちで車体が微妙に前にでる。完全に切れていない感じだ。クラッチワイヤーかな。回転をあわせながらギアチェインジで凌ぐ。

午前中に帰宅。総距離270km。よくがんばったぞVespaくん。